[ネオジム磁石発明への道] 佐川真人氏(6)


[日本経済新聞電子版2016年12月15日配信]
磁石の研究、会社は認めず夜や土日に 38歳で退社
仕事人秘録 大同特殊鋼顧問・佐川真人氏
サラリーマン時代に電気自動車(EV)や風力発電などの普及に貢献する最強の磁石「ネオジム磁石」を発明した佐川真人氏(73)の「仕事人秘録」。磁石の世界と出合い、開発を続けてきた富士通に別れを告げます。
1980年に会社から磁石研究の打ち切りを命じられる。世の中はパソコン黎明(れいめい)期だった。
最強磁石を追い求めて試行錯誤しているうちに、正式テーマのフライングスイッチに使う壊れないサマリウム・コバルト磁石が完成してしまいました(「なぜコバルトなのか 『鉄で最強磁石』生んだ疑問」参照)。強度が高く、何万回スイッチを入れても壊れません。私は次に「ネオジム+鉄+ボロン」の最強磁石の研究をしたいと会社に申請しましたが、却下されます。富士通研究所としては「磁石は材料メーカーがやること。半導体の薄膜など最先端の研究に移りなさい」ということでした。
会社の方針に合った研究テーマとして、当時流行していた磁気バブルメモリーの研究や、温度によって磁化の方向が変化する磁石の応用を探すテーマを提案し、研究に打ち込みました。しかし、せっかくつかんだ最強磁石への糸口は離したくなかった。加山雄三さんのヒット曲「君といつまでも」に「僕は死ぬまで君をはなさないぞ」という歌詞がありますが、本当にそんな気持ちでしたね。
日中は会社から認められた研究を、夜や土日は「ネオジム+鉄+ボロン」合金の研究を続けました。何とかしてこの合金をもとにセル状組織(前回「ネオジム磁石のヒント得る 『鉄の壁』克服へ実験」参照)をつくらないといけない。色々なアイデアを試しました。
30代後半になると管理職テストを受けて合格。特許の仕事に移り研究の第一線から退くことになる。
社内では順調に昇進していたのかもしれませんが、研究者としては「窓際」という思いでいっぱいでした。磁石の実験もやりにくくなり、会社を去る決意を徐々に固め始めます。入社時からお世話になった上司とも折り合いが悪くなり、日常業務の不備で強い叱責を受けた私は「辞めます」とたんかを切りました。上司は驚いてうろたえましたが、私の決意は変わりません。「明日辞表を持っていきます」と告げました。1982年1月、38歳の時でした。
image001
研究が思うように進まなかった富士通時代は妻(後列左)と長女(前列左)が支えてくれた(後列中央が本人)
人事部の人には「奥さん大丈夫? 反対されて(辞表を)撤回する人いるぞ」と言われました。当時、小学校に上がる前の長女がいて、次の就職先も決まっていませんでしたが、帰宅して家内に報告すると「いいんじゃない」とあっさり承諾。次は実家がある関西で転職先を探すと言ったのに安心したのもあると思いますが、磁石研究に私が没頭していることをよく理解してくれたのだと思います。
実は辞表を提出する前から磁石研究を続けられる転職先を探していました。富士通の子会社で磁石にも関心があった富士電気化学(現FDK)です。知り合いの幹部にレアアース磁石の新しいアイデアを持っていると伝え、感触は悪くなかった。しかし親会社とケンカして辞めたのですから転職の道は断たれました。人生第二の挫折です。ただ、どの大学からもお呼びがなかった博士課程時代と違い(「材料科学者めざし大学院へ 博士修了も『第一の挫折』」参照)自信はなくしていなかった。むしろ好きなことをやれる可能性を感じていました。
(安原和枝)
[日経産業新聞2016年12月15日付]
Category: その他, ネオジム. Bookmark the permalink.