[ネオジム磁石発明への道] 佐川真人氏(10)

[日本経済新聞電子版2016年12月21日配信]
磁石原料レアアース、中国の供給リスクにらみ新製法
仕事人秘録 大同特殊鋼顧問・佐川真人氏
サラリーマン時代に電気自動車(EV)や風力発電などの普及に貢献する最強の磁石「ネオジム磁石」を発明した佐川真人氏(73)の「仕事人秘録」。ネオジム磁石の生産コストや磁気特性を改良する研究はいまも続いています。
1988年にインターメタリックス(IM、京都市)を設立、世界を飛び回った(前回「ネオジム磁石発明の手柄に葛藤 5年半で会社に別れ」参照)。
主要な業務は、ネオジム磁石の発展をテーマに磁石製造会社やレアアース原料メーカーの研究開発を指導することでした。既存のノウハウなど住友特殊金属の秘密情報を漏らさないことを条件に、住友特殊金属の許可もとって、フランスの磁石製造大手ユジマグなど複数の会社と契約しました。しかし、思うような成果は得られませんでした。
転機は2000年。堀場製作所創業者の堀場雅夫氏らベンチャー経営の先輩らが優れた事業を支援する「京都市ベンチャー企業目利き委員会」に私の研究が選ばれたのです。テーマはジスプロシウム(「世界最強ネオジム磁石、旧住友特殊金属で実現・量産」参照)がなくても耐熱性が高いネオジム磁石の開発です。ジスプロシウムは中国の一地域に偏在しているため、資源供給リスクを当時から意識していました。中小企業基盤整備機構が運営する京大桂ベンチャープラザ(京都市)に02年に入居し、研究に専念しました。
研究の結果、「プレス・レス・プロセス(PLP法)」という、磁石の製造工程からプレス工程を省く新製法を工業化しました。磁石はプレス機でつくると磁石のブロックをつくった後に切り分ける作業が発生します。その時に切りくずが出るのですが、最初から目的の形の磁石をつくれば無駄をなくせます。しかもプレス機で圧縮する際に酸素などの不純物も混入しなくなり磁気特性も向上しました。
PLP法の長所は従来のプレス法と異なり、どんなに微細な粉末でも成型して磁石をつくれることです。磁石の粒径が小さくなると保磁力が上がるのですが、粒径を小さくするほど耐熱性が上がりジスプロシウムの使用量が減ります。この考えは昔から知られていましたが、PLP法により工業化の道が開けました。
10年秋に発生した尖閣諸島問題を端緒に中国がジスプロシウムの輸出を停止したことで、脱ジスプロシウムの磁石開発が加速する。
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インターメタリックス時代から研究拠点にしている京大桂ベンチャープラザ
PLP法をはじめとした技術にも三菱商事、大同特殊鋼、米モリコープの3社が出資し、磁石製造会社のインターメタリックス・ジャパン(IMJ、岐阜県中津川市)を設立。13年からPLP法によるネオジム磁石の量産を始めました。研究が実を結んだのを機に私は「ネオジム+鉄+ボロン」にちなんだNDFEBという名のベンチャー企業を設立し、京大桂ベンチャープラザで研究を続けています。
今はIMとIMJはともに大同特殊鋼の全額出資になり、私は今年10月に顧問に迎えられました。世界一の磁石メーカーへの階段を上ろうとする大同特殊鋼をこれからも応援したいと思っています。
私自身はNDFEBで生産コストや磁気特性など全てに優れた製法を開発中です。電気自動車や産業ロボットなどの駆動モーターに使うネオジム磁石の生産は年10万トンを超え、年10%のペースで増えています。全ての生産を私の製法に塗りかえるのが夢です。
(安原和枝)
[日経産業新聞2016年12月21日付]
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[ネオジム磁石発明への道] 佐川真人氏(9)

[日本経済新聞電子版2016年12月20日配信]
ネオジム磁石発明の手柄に葛藤 5年半で会社に別れ
仕事人秘録 大同特殊鋼顧問・佐川真人氏
サラリーマン時代に電気自動車(EV)や風力発電などの普及に貢献する最強の磁石「ネオジム磁石」を発明した佐川真人氏(73)の「仕事人秘録」。論文発表や特許出願、量産も順調に進みましたが、住友特殊金属(現・日立金属)を退社し、ベンチャー企業設立の道を選びます。
1982年に発明してから3年、85年には量産が始まった。(前回「世界最強ネオジム磁石、旧住友特殊金属で実現・量産」参照)
ネオジム磁石の生産量は85年は年間200トンでしたが86年は同400トン、87年は同800トンと生産量が増え、倍々ゲームのようでした。主な用途はコンピューターのハードディスク装置(HDD)などの電子機器です。特に重宝されたのがHDDの磁気ヘッドを動かす駆動装置(アクチュエーター)でした。
サマリウム・コバルト磁石(「なぜコバルトなのか 『鉄で最強磁石』生んだ疑問」参照)の2倍の磁力があるネオジム磁石の誕生でHDDの磁気記録の高速化が可能になりました。エアコン圧縮機のモーター向けにも使われています。HDDの大容量化、エアコンの小型化・省電力化はネオジム磁石が支えたと言われています。
ネオジム磁石の論文発表や特許出願ではトップネームを独占しないように気を配りました。複数の著者がいる論文では著者名の順番はとても重要な意味を持ちます。トップネームとは最初に書かれた名前を指し、その人が論文や特許の責任者になります。自分がトップネームになるとやる気が出ますから、責任を持って分担作業をしてくれた人たちの名前がトップになるよう配慮しました。
最初の論文だけはトップネームをとられないように戦々恐々。この時の葛藤が尾を引き会社を去ることになる。
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インターメタリックスを設立後、オフィスで磁石研究者の訪問を受ける(1989年5月、京都市)
トップネームを「とられる」と言うと物騒な印象を受けるかもしれませんが、実際にはよく聞きます。有名な話だと、ある磁石メーカーが発表したサマリウム・コバルト磁石の改良成果を書いた論文です。新入社員の発案だったのですが、最初に発表した論文のトップネームは上司の名前だった。それ以降、そのアイデアは上司が発案したものとして業界で扱われるようになったのです。住友特殊金属にも著名な磁石研究者がいましたから、私自身も「この人にとられたら……」と感じたことは少なくなかった。
結局とられることはなかったのですが、トップネームを巡って、関係のしこりは残りました。
社内の人間関係の葛藤の末、在籍5年半で住友特殊金属を去ることを決断します。当時は会長に退いていた岡田典重さんには驚かれましたが、温かい目で送り出してもらいました。岡田さんは「ネオジム磁石の発明がなければ会社はつぶれていた」(「転職目前、ネオジム磁石誕生 ひとりぼっちの実験室で」参照)と言い、私の退職後も20年以上にわたり研究を支援してくれました。住友特殊金属は2004年に日立金属に子会社化され、今は完全に吸収合併されました。経営には紆余曲折があったと思いますが、歴代社長は岡田さんの思いを引き継いで支援を続けてくれたのです。
1988年2月、住友特殊金属を辞めてインターメタリックス(京都市)というベンチャー企業を設立します。ネオジム磁石の発展をテーマに企業コンサルタントを主業務にしました。設立後15年間で地球を100周するくらい世界中を飛び回りました。
(安原和枝)
[日経産業新聞2016年12月20日付]
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[ネオジム磁石発明への道] 佐川真人氏(8)

[日本経済新聞電子版2016年12月19日配信]
世界最強ネオジム磁石、旧住友特殊金属で実現・量産
仕事人秘録 大同特殊鋼顧問・佐川真人氏
サラリーマン時代に電気自動車(EV)や風力発電などの普及に貢献する最強の磁石「ネオジム磁石」を発明した佐川真人氏(73)の「仕事人秘録」。富士通を去る直前に開発していたネオジム磁石(前回「転職目前、ネオジム磁石誕生 ひとりぼっちの実験室で」)が、新たな職場で「世界最強」に進化します。
住友特殊金属(現・日立金属)に1982年5月入社。チームでネオジム磁石研究を始める。
入社して早速、岡田典重社長(当時)は有能な部下をつけてくれました。与えられた設備も時間外に1人で研究を続けていた富士通時代よりはるかに整っていました。まず着手したのは「ネオジム+鉄+ボロン」の比率と添加元素、つまり組成の検討です。練っていた組成50通りのリストと製造条件を部下に渡し、次々に試しました。
正解はそのリストの中にありました。実験を始めて約2カ月後、磁力が強い磁石ができます。その後も記録が伸び続け、サマリウム・コバルト磁石の世界最強記録(「なぜコバルトなのか 『鉄で最強磁石』生んだ疑問」参照)も軽々と超えました。その時に見つけた組成が「ネオジム15、鉄77、ボロン8」。今、ネオジム磁石と呼ばれているものです。
けれど欠点がありました。セ氏50度を超えると磁力が急低下するのです。これでは自動車などのモーターには使えません。社内の評価グループに「おもちゃにしか使えない」と言われ、またしても挫折か、と暗たんたる気持ちになりました。背水の陣を敷く思いで、10人いた研究メンバーにアイデアを持ち寄ってもらい、ブレインストーミングをしました。
4つの改良案を並行して進め、ネオジムの一部を重希土類(レアアース)のジスプロシウムで置き換える案がヒットした。
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ネオジム磁石について初めて学術発表をした時、聴衆500人以上から大喝采を浴びた(1983年10月、米ペンシルベニア州)
ネオジムをほんの少し、ジスプロシウムに置き換えると温度特性がぐっと良くなりました。セ氏200度でも磁力は落ちません。ジスプロシウムは中国の一地域に生産地が偏在していて、2010年に発生した尖閣諸島問題を巡り中国が輸出を停止して社会問題になったことを記憶している人も多いと思います。ネオジム磁石の主要元素であるが故に後々に外交カードに使われてしまうのですが、当時は正真正銘の世界最強磁石の誕生に皆で大喜びしました。
82年8月から特許出願もどんどん進めていました。富士通の管理職時代に取得した特許の知識(「最強磁石の研究、会社は認めず夜や土日に 38歳で退社」参照)がここで大いに役立ちます。岡田社長も有能なスタッフを何人もつけてくれ、会社を挙げて応援してくれました。出願した特許の隙を突いた権利侵害をされないように、想定できる組み合わせを全て考え、たくさんの特許を出願しました。
翌83年4月に論文を発表した後に知ったのですが、実はアメリカの研究チームが私たちの直後に「ネオジム+鉄+ボロン」の特許を出願していたのです。出願日の差はわずか2週間。作り方は違っていましたが、先に出願した意義は大きかった。岡田社長との出会いがなければ間違いなく後れを取っていたでしょう。
発明したら工業化しようと、非常に多くの人をつけてもらいました。開発はとんとん拍子に進んで、わずか3年後の85年には量産を始めます。日本人の研究者は目標が明確になると世界一優秀だと、しみじみ実感しました。
(安原和枝)
[日経産業新聞2016年12月19日付]
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[ネオジム磁石発明への道] 佐川真人氏(7)

[日本経済新聞電子版2016年12月16日配信]
転職目前、ネオジム磁石誕生 ひとりぼっちの実験室で
仕事人秘録 大同特殊鋼顧問・佐川真人氏
サラリーマン時代に電気自動車(EV)や風力発電などの普及に貢献する最強の磁石「ネオジム磁石」を発明した佐川真人氏(73)の「仕事人秘録」。富士通に辞表を出して(前回「最強磁石の研究、会社は認めず夜や土日に 38歳で退社」参照)当時の住友特殊金属に転職しますが、実はネオジム磁石が誕生したのは転職活動中に使っていた富士通の実験室でした。
会社の規定で辞表提出後も3カ月間在籍。転職先を探しつつ誰もいない実験室で細々と研究を続けた。管理職は退職まで3カ月間会社に残る義務がありました。上司とけんかして辞表を提出した私から同僚は遠ざかっていきました。職場で話しかけられることもなくなり、飲み会の約束もキャンセルされました。「会社とはこういうものか」と寂しい気持ちになりましたね。
じっと座っているのは嫌だったので空いている実験室を使わしてほしいと、けんかした上司に頼み込みました。上司は東北大院の先輩でもあり、何かと私に目をかけてくれていた人でした。武士の情けなのか、思いがけず了承してくれました。おかげで、たまっていたアイデアを退職までの3カ月間で思いっきり試すことができたのです。
実はこの時に、ネオジム磁石のセル状組織(「ネオジム磁石のヒント得る『鉄の壁』克服へ実験」参照)をつくることに成功しています。ひとりぼっちの実験室。「カッチーン」と音を立てて私がつくった合金が鉄板に吸い付いた。まだまだ弱々しい磁力でしたが、ネオジム磁石誕生の瞬間です。私は天井に手が届かんばかりに跳ね上がって1人で大喜びしていました。
転職活動のため住友特殊金属(現・日立金属)にかけた1本の電話が運命を決定づける。
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住友特殊金属入社後、実験室ができた時に磁石研究チームで記念撮影(前列から2列目左から3人目が本人)
辞表を提出した後、関西の磁石メーカーに転職しようと大阪に本社があった住友特殊金属の社長宛てに「コバルトを使わない最強磁石のアイデアがある」と手紙を書きました。けれど数週間たっても返事はない。家内の勧めで会社に直接電話をかけました。代表番号にかけて受付の女性に「社長室をお願いします」と言ったら普通は秘書が対応しますよね。けれど、いきなり岡田典重社長(当時)が電話口に出られた。手短に最強磁石のアイデアを説明すると「すぐに面接に来てくれ」と言われました。
岡田社長の強力なバックアップのおかげでネオジム磁石が発明できました。事業が軌道に乗った後になってのことですが、岡田社長が「佐川君、この電話だよ」と、私から電話がかかってきた社長室の電話機を見せてくれました。「秘書が出ていたらなかなか取り次いでもらえなかったよ」と笑って話されていたのを今でもよく覚えています。
岡田社長は私のアイデアを気に入り「お金も人も糸目をつけないから、すぐに開発してほしい」と言ってくれ、面接してすぐに採用が決まりました。可能性を認めてくれる人とようやく出会い、とてもうれしかったです。当時の住友特殊金属の従業員は1000人程度。親会社の住友金属(現・新日鉄住金)は鉄鋼大手でしたが、その中の特殊金属部門のような会社でした。経営状況は当時よくなかったみたいで、私が取り組んでいた最強磁石に岡田社長も望みをかけていたのだと思います。私も富士通からベンチャーに移るような気持ちで入社しました。
(安原和枝)
[日経産業新聞2016年12月16日付]
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[ネオジム磁石発明への道] 佐川真人氏(6)

[日本経済新聞電子版2016年12月15日配信]
磁石の研究、会社は認めず夜や土日に 38歳で退社
仕事人秘録 大同特殊鋼顧問・佐川真人氏
サラリーマン時代に電気自動車(EV)や風力発電などの普及に貢献する最強の磁石「ネオジム磁石」を発明した佐川真人氏(73)の「仕事人秘録」。磁石の世界と出合い、開発を続けてきた富士通に別れを告げます。
1980年に会社から磁石研究の打ち切りを命じられる。世の中はパソコン黎明(れいめい)期だった。
最強磁石を追い求めて試行錯誤しているうちに、正式テーマのフライングスイッチに使う壊れないサマリウム・コバルト磁石が完成してしまいました(「なぜコバルトなのか 『鉄で最強磁石』生んだ疑問」参照)。強度が高く、何万回スイッチを入れても壊れません。私は次に「ネオジム+鉄+ボロン」の最強磁石の研究をしたいと会社に申請しましたが、却下されます。富士通研究所としては「磁石は材料メーカーがやること。半導体の薄膜など最先端の研究に移りなさい」ということでした。
会社の方針に合った研究テーマとして、当時流行していた磁気バブルメモリーの研究や、温度によって磁化の方向が変化する磁石の応用を探すテーマを提案し、研究に打ち込みました。しかし、せっかくつかんだ最強磁石への糸口は離したくなかった。加山雄三さんのヒット曲「君といつまでも」に「僕は死ぬまで君をはなさないぞ」という歌詞がありますが、本当にそんな気持ちでしたね。
日中は会社から認められた研究を、夜や土日は「ネオジム+鉄+ボロン」合金の研究を続けました。何とかしてこの合金をもとにセル状組織(前回「ネオジム磁石のヒント得る 『鉄の壁』克服へ実験」参照)をつくらないといけない。色々なアイデアを試しました。
30代後半になると管理職テストを受けて合格。特許の仕事に移り研究の第一線から退くことになる。
社内では順調に昇進していたのかもしれませんが、研究者としては「窓際」という思いでいっぱいでした。磁石の実験もやりにくくなり、会社を去る決意を徐々に固め始めます。入社時からお世話になった上司とも折り合いが悪くなり、日常業務の不備で強い叱責を受けた私は「辞めます」とたんかを切りました。上司は驚いてうろたえましたが、私の決意は変わりません。「明日辞表を持っていきます」と告げました。1982年1月、38歳の時でした。
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研究が思うように進まなかった富士通時代は妻(後列左)と長女(前列左)が支えてくれた(後列中央が本人)
人事部の人には「奥さん大丈夫? 反対されて(辞表を)撤回する人いるぞ」と言われました。当時、小学校に上がる前の長女がいて、次の就職先も決まっていませんでしたが、帰宅して家内に報告すると「いいんじゃない」とあっさり承諾。次は実家がある関西で転職先を探すと言ったのに安心したのもあると思いますが、磁石研究に私が没頭していることをよく理解してくれたのだと思います。
実は辞表を提出する前から磁石研究を続けられる転職先を探していました。富士通の子会社で磁石にも関心があった富士電気化学(現FDK)です。知り合いの幹部にレアアース磁石の新しいアイデアを持っていると伝え、感触は悪くなかった。しかし親会社とケンカして辞めたのですから転職の道は断たれました。人生第二の挫折です。ただ、どの大学からもお呼びがなかった博士課程時代と違い(「材料科学者めざし大学院へ 博士修了も『第一の挫折』」参照)自信はなくしていなかった。むしろ好きなことをやれる可能性を感じていました。
(安原和枝)
[日経産業新聞2016年12月15日付]
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[レアアース] 中国が“お荷物”のレアアースを再び外交カードに

[産経ニュース2016年12月15日配信]
日本企業の技術移転をもくろむ深謀遠慮
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動画投稿サイト「ユーチューブ」に投稿された、平成22年9月7日に沖縄県・尖閣諸島沖で発生した中国漁船衝突事件の映像(海上保安庁提供)
中国が強力な外交カードに使ってきたレアアース(希土類)。「産業のビタミン」と呼ばれるほど先端技術に不可欠なもので、尖閣諸島(沖縄県石垣市)沖で起きた2010年9月の中国の漁船衝突事件をめぐり、中国側が制裁措置として日本への輸出を制限したことは記憶に新しい。ここ数年は、生産増で市場価格が低迷し、環境破壊が国内問題になるなど、“お荷物”になりつつあった。
しかし、中国政府はここにきてレアアースの生産量制限に乗り出した。違法な採掘活動の取り締まりや環境問題というのが表向きの理由だが、レアアースを再び外交カードとしたい狙いも垣間見られる。
ロイターによると、中国工業情報化省は10月18日、レアアースの生産量を2020年まで年間14万トン以下に制限する方針を明らかにした。報道によると、中国政府はレアアースの違法な採掘活動を取り締まることも示唆した。今後は、中国アルミや中国五鉱集団などの大手6社以外に採掘許可を出さない方針だ。
レアアースは、ハイブリッドカー(HV)や電気自動車(EV)の永久磁石や発光ダイオード(LED)照明の蛍光物質、ガラス研磨剤などハイテク製品に欠かせない貴重な資源だ。
かつての中国の最高実力者、鄧小平氏は「中東に油あり 中国にレアアースあり」と評した。中国は世界のレアアースの90%以上を産出し、漁船衝突事件後の対日輸出制限や、欧米に対しても輸出税を課する“売り惜しみ”をするなど、戦略物質として対外圧力の切り札としてきた。
しかし、日米欧が共同で世界貿易機構(WTO)に提訴した結果、輸出税がルール違反と判断され、中国政府は15年1月にレアアースの輸出枠を撤廃し、同年5月から輸出税も撤廃した。
これが中国国内でレアアースの価格下落をもたらした。レコードチャイナが9月9日に配信した、中国のポータルサイト「今日頭条」の記事によると、2016年1~7月のレアアースの輸出量は前年同期比約54%も増加し、価格は1キロ当たり10.7ドルから6.55ドルに下落した。過剰生産の一端は違法盗掘者が引き起こしているという。
また、国内の環境政策に詳しい中国メディア「中国環境報」によると、レアアースの採掘が山林を伐採、土壌を露出させ、廃棄物・廃水が深刻な環境破壊を招いており、資源が「汚染源」になっていると指摘する。
レアアースの生産は中国企業にとって重荷になっている。今日頭条の11月23日の記事によれば、中国のあるレアアース関連企業の純利益率は1%に満たないと紹介。中国のレアアース関連企業にとって、レアアースの生産は薄利多売どころか、実際は政府からの補助がなければ赤字であるのが現状だという。
さらに、日本の官民の“脱中国産レアアース”の動きが追い打ちを掛ける。ホンダは7月、レアアースなどレアメタル(希少金属)を使わないHV用モーターを開発したと発表。東芝も11月、中国に偏在するレアアースを使わないモーター用磁石を開発した。安倍晋三首相も11月、カザフスタンのナザルバエフ大統領と会談し、同国内のレアアースなど豊富な資源の開発で企業レベルの協力を続けると確認した。
こうした日本の動きに対し、中国側は悲壮感を漂わせている。今日頭条は、「『中国にビンタを食らわす』画期的な発明だ」「中国のレアアース市場における独占的地位が揺らぐ 日本が後継者になるかもしれない」とする記事を掲載した。
一方で、中国の深謀遠慮に懸念を示す日本の専門家もいる。4月2日付の産経新聞では、レアメタル専門商社、マテリアル・トレイディング・カンパニーの小滝秀明社長の見方が紹介された。中国は環境対策を理由にレアアースの生産量を絞り、レアアースを入手できなくなった日本企業に対し、レアアースを使う製品を生産する工場の中国移転を促す。日本からの技術流出が期待できる上に、レアアースだけを日本に輸出するよりも多くの利益を獲得できる-というシナリオだ。
アジア太平洋地域の経済圏づくりで主導権を握りたい中国。習近平国家主席は来年以降、東アジア地域包括的経済連携(RCEP)の早期妥結を目指している。レアアースが再び外交カードに加われば、日本は国際ルール作りで劣勢に立たされかねない。日本は国益の観点からも、長期的な観点から戦略を練る必要がある。(経済本部 鈴木正行)
東アジア地域包括的経済連携(RCEP) 東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟10カ国に日本と中国、韓国などを加えた16カ国による経済連携協定(EPA)。貿易での市場開放や知的財産の保護などを目指し、2013年に交渉を開始した。16カ国のうち、日本を含む7カ国は環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)にも参加している。TPPとともにアジア太平洋経済協力会議(APEC)参加国によるアジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)の土台とする狙いがある。
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[ネオジム磁石発明への道] 佐川真人氏(5)

[日本経済新聞電子版2016年12月14日配信]
ネオジム磁石のヒント得る 「鉄の壁」克服へ実験
仕事人秘録 大同特殊鋼顧問・佐川真人氏
サラリーマン時代に電気自動車(EV)や風力発電などの普及に貢献する最強の磁石「ネオジム磁石」を発明した佐川真人氏(73)の「仕事人秘録」。発明への道を開く重大なヒントに出合います。
会社に命じられたのとは別に希土類(レアアース)鉄磁石を開発したいと思ったが、いいアイデアが浮かばなかった。
世界中の磁石の研究者は「コバルトが必要」という固定観念のため、コバルトの一部を鉄に置き換える実験ばかりをしていました(前回「なぜコバルトなのか 『鉄で最強磁石』生んだ疑問」参照)。けれど、鉄の割合が2割を超えると磁気特性ががくんと落ちる。磁石の専門家は皆そこで諦めてしまったのです。私は「100%鉄に置き換える」という全く違った発想を持ちました。なぜ鉄だけで磁石にならないのか理由を思索。しかし、実験で成果が得られそうなアイデアは全く出てこなかった。
発明につながる着想は1978年1月31日に金属材料技術研究所(現物質・材料研究機構)で開催された「希土類磁石の基礎から応用まで」という会合で得ました。10件講演があるのにテーマは全て「レアアース+コバルト」ばかりで「レアアース+鉄」がひとつもありませんでした。けれど、ほんの数分だけ、東北大学の浜野正昭先生が「レアアース+鉄」がなぜ磁石にならないのか説明したのです。
その解説では「磁石になるには鉄と鉄の原子間距離が近すぎる」ということでした。ならば炭素やボロンといった原子半径の小さな原子をレアアースと鉄の化合物に入れれば鉄の原子間距離が広がるのではないか――。ネオジム磁石の誕生に向かって運命の歯車が動き始めていました。
鉄が最強の磁石にならない理由を聞き、克服策がひらめいた。翌日から実験に明け暮れた。
「サマリウム+コバルト」の代わりに「サマリウム+鉄+炭素」「サマリウム+鉄+ボロン」を次々と試しました。磁石が磁気を失う温度のことを「キュリー温度」というのですが、レアアースと鉄の化合物は全てその温度が低すぎて実用磁石にならない。キュリー温度を上げないといけないのですが、その中で「サマリウム+鉄+ボロン」の3元系(3種類の元素からなる化合物)が有望という結果が出てきました。
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ボロンを入れることに手応えを感じ、今度はサマリウムを除く16種類のレアアースを入手しやすいものから混ぜてみました。すると今のネオジム磁石を構成する「ネオジム+鉄+ボロン」はキュリー温度と磁気異方性(磁気モーメントの方向を固定する性質)が明らかに高かった。ひらめきを得てから1年ほど、1978年末の発見でした。
けれど、これだけでは磁石になりません。セル状組織を磁石の中につくりこむ必要があるのです。磁石は内部の磁化が全て同じ方向を向いていないと互いに打ち消しあい、強い磁化を外部に発揮できません。磁化が同じ方向を向くにはセル状組織が不可欠なのです。俵好夫さんがサマリウム・コバルト磁石を発明した際につくったセル状組織を再現しようとしましたが、全然できない。全く地図がない中を手探りで、どこが目的地か探しているようでした。
(安原和枝)
[日経産業新聞2016年12月14日付]
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[ネオジム磁石発明への道] 佐川真人氏(4)

[日本経済新聞電子版2016年12月13日配信]
なぜコバルトなのか 「鉄で最強磁石」生んだ疑問
仕事人秘録 大同特殊鋼顧問・佐川真人氏
サラリーマン時代に電気自動車(EV)や風力発電などの普及に貢献する最強の磁石「ネオジム磁石」を発明した佐川真人氏(73)の「仕事人秘録」。科学者の道を半ば諦めて(前回「材料科学者めざし大学院へ 博士修了も『第一の挫折』」)就職した富士通で、磁石の開発に取り組みます。
1972年に博士課程を卒業後、研究室の教授の紹介で富士通に入社した。
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神戸大学大学院修士課程の恩師、永田先生(左)は妻を紹介してもらった恩人でもある
社会人になって初めて磁性材料の世界と出合います。所属した富士通研究所でリレーやスイッチに使う磁性材料の開発を命じられました。心機一転、会社に入って頑張ろうとする矢先に全く知見がないテーマを与えられて、自信のなさに打ちのめされました。
ただ、少しずつ勉強するうちに面白くなっていきます。大学院で基礎は鍛えていましたし、目標が明確な会社での開発プロジェクトは私に合っていたのだと思います。次々とアイデアが出てきて楽しくて仕方なかったです。
入社2年目、今の家内と見合いをしました。恩師である永田三郎先生からの紹介でした。家内は7つ年下。京都の女学校卒業でお嬢様という第一印象でした。見合いの数日後に家内のお父さんに向けて「結婚したい」という手紙を送りました。家内は大阪、私は横浜での遠距離で交際をスタートさせ、74年に結婚しました。永田先生は人生の恩人でもあります。
公私ともに充実していた入社4~5年ごろに「フライングスイッチに使う磁石を開発して」と指示される。
ガラス管の中を磁石がぽんぽん飛び移ることでスイッチの役目をするもので、要は、壊れない磁石の開発を命じられたのです。新しいテーマに心が踊りました。作製や評価の装置を整え、自分で実験装置も作り研究の実験ができるようにしました。
当時はサマリウム・コバルト磁石が最強とされたので、この磁石の強度を高める研究を始めます。サマリウム・コバルト磁石の発明者は歌人の俵万智さんの父上で、松下電器産業(現・パナソニック)を経て信越化学工業の磁性材料研究所長を務められた俵好夫さんです。研究を進めるにつれ「なぜコバルトなのか」という疑問を抱きます。
磁石の主成分は昔から鉄でした。元素の中で磁性の強い元素は3つのみで、磁性の強さの順に鉄、コバルト、ニッケルです。本来なら、コバルトより鉄を主成分とする方が強い磁石になるはずなのです。本多光太郎先生は1916年に、鉄に多量のコバルトを合金化すると、鉄だけの磁石の3倍も強い磁石になることを見つけました。その磁石はKS鋼と名づけられました。KS鋼が出てから、世界中の磁石の研究者は「最強磁石はコバルトが主成分であることが必須条件である」という固定観念にとらわれてしまったのです。結果として、最強磁石は多量のコバルトを含む、アルニコ磁石、サマリウム・コバルト磁石と続きます。
磁石は17元素からなる希土類(レアアース)を使うと強くなります。サマリウム・コバルト磁石もサマリウムという希土類を含んでいるレアアース磁石です。どうせレアアースと組み合わせるならコバルトより鉄の方がよいと素朴に考えました。実際にコバルトの一部を鉄に置き換える研究は世界中で行われていました(次回「ネオジム磁石のヒント得る 『鉄の壁』克服へ実験」参照)。
(安原和枝)
[日経産業新聞2016年12月13日付]
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[ネオジム磁石発明への道] 佐川真人氏(3)

[日本経済新聞電子版2016年12月09日配信]
材料科学者めざし大学院へ 博士修了も「第一の挫折」
仕事人秘録 大同特殊鋼顧問・佐川真人氏
サラリーマン時代に電気自動車(EV)や風力発電などの普及に貢献する最強の磁石「ネオジム磁石」を発明した佐川真人氏(73)の「仕事人秘録」。科学者になるという子どもの頃からの夢(前回「『科学者になりノーベル賞とる』 小学1~2年で宣言」参照)に向け、地元の神戸大学と東北大学で学びます。
大学受験の際、親戚から「浪人はできない。落ちたら就職だよ」と言われる。
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高校生の頃、妹(右)と。一番下の弟を入れて3人兄弟
親は直接言わないのですが親戚から釘をさされました。けれど科学者になると決めていましたし、親も応援してくれていました。担任の先生に、自宅から通える国立の神戸大学工学部の電気工学科を勧められました。アドバイスに従って受験し合格しました。
神戸大電気工学科に在籍している学生は約50人。最初の2年間は教養課程で専門科目以外の社会学の授業が印象に残っていますね。大学では高校時代に続いて陸上競技部に入りました。400メートルのタイムは53~54秒。走りは得意だった。この時期は巨人軍の長嶋茂雄と王貞治が活躍していました。甲子園球場で入場チケットのもぎりのアルバイトをしていて、仕事が終わると階段をかけあがり観戦しました。熱心な阪神ファンでした。
大学では数学、物理、化学はよく勉強しましたが、電気工学の科目には身が入りません。一方で湯川秀樹先生のノーベル賞受賞の記憶がよみがえり「基礎研究をしたい」と強く思うようになりました。4年生の時には迷わず大学院進学を決断。両親も応援してくれ、貸与型の奨学金を得て神戸大の修士課程に進みます。
一番基礎的な研究をしている応用物理研究室を志望し、永田三郎教授の指導で、ネオジム磁石発明(「つかんだ糸口 離さず 最強『ネオジム磁石』発明への道」参照)につながる、材料科学の神髄を学びました。「実験屋は実験装置を自分で何でも作れないといかん」。実験物理学者としての哲学が後の研究生活の支えとなりました。永田先生のお宅には度々お邪魔して、ご飯をごちそうになりました。
磁石業界に人材を輩出した東北大学の金属材料研究所で博士号を取得する。
「ノーベル賞をもらえるような研究をしたい」。夢に胸を膨らませて、東北大の博士課程の門をたたきます。材料学問の最先端を走る金属材料研究所、通称「金研」に所属します。ここでは修士課程のテーマの続きを勉強しました。これを生かして防食の原理を解明できれば大きな成果になると思い、頑張りましたが結果はなかなか出ません。
研究テーマが決まらない私を見かねて指導教授がテーマを与えてくれましたが自分で考えたいと思い断りました。選んだテーマは金属のさびです。最初にできる小さなさびの結晶は、大きい塊になった時、どう構造が変わるのかということを電子顕微鏡で調べることでした。毎日原子レベルのミクロな世界を見ながら、自然は、どんなに小さくてもきれいだなと感心していました。実験が大好きでした。
結局、3年が標準の博士課程を4年かけて修了しました。有能な研究者に会って話を聞いた経験は材料科学者の基礎をつくってくれたと感謝しています。しかし、論文はメジャーな科学雑誌に取り上げられるような出来ではなく、どの大学からもお呼びがかからなかった。「材料科学者になる夢は絶たれたか」。人生における第一の挫折でした。
(安原和枝)
[日経産業新聞2016年12月9日付]
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[ネオジム磁石発明への道] 佐川真人氏(2)

[日本経済新聞電子版2016年12月08日配信]
「科学者になりノーベル賞とる」 小学1~2年で宣言
仕事人秘録 大同特殊鋼顧問・佐川真人氏
サラリーマン時代に電気自動車(EV)や風力発電などの普及に貢献する最強の磁石「ネオジム磁石」を発明した佐川真人氏(73)の「仕事人秘録」。生い立ちと、科学との出合いを振り返ります。
1943年8月、両親の実家がある徳島県で生まれ、生後すぐに父親が働く岐阜県那加町(現各務原市)に戻った。
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生後間もない頃、徳島県の母の実家で。3500グラムの大きな赤ん坊だった
岐阜県那加町は航空機を製造・補修する軍需工場が多数あり、後に「各務原空襲」と言われるほど甚大な空襲被害を受けた地域です。私は長男で、後に4歳下の妹と12歳下の弟が生まれます。
私には戦争の記憶は全くありませんが、終戦後も小さい頃は夕日をみると「バクダンドカドカー!」とよく叫んでいたそうです。母親の話を聞くと本当に死と隣り合わせでした。空襲警報が鳴り、私を背負って母が防空壕(ごう)に向かう途中、間に合わないと思い側溝に避難しようとしたそうです。けれど背中の私がつっかえて入れない。諦めた母は走って防空壕(ごう)まで避難しました。空襲をやり過ごした後、入れなかった側溝に戻ってみると爆撃で跡形もなかった。側溝にいたままだったら間違いなく死んでいたのでしょうね。
終戦後は徳島県に移り住みました。父が徳島駅の駅前で食料品や雑貨を売る小売店を始めたおかげで、暮らし向きは裕福でした。両親とも穏やかな人柄。当時のほとんどの人がそうだったように中学校卒業後すぐに働きに出ていました。
子供の教育に熱心で、父は複数の新聞を購読していて世間で活躍している人の記事を私に読んで聞かせてくれました。その中で特に影響を受けたのが1949年にノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹先生の話でした。まだ小学校1~2年生でしたが「僕は科学者になってノーベル賞をとる」と両親に宣言していました(前回「つかんだ糸口離さず 最強『ネオジム磁石』発明への道」参照)。
小学校6年生の時に父が事業に失敗し、保証人の借金などを抱えて突然貧乏になる。父の親戚を頼りに、小学校卒業前に兵庫県に引っ越した。
神戸市、尼崎市と移り住み転校を繰り返しました。貧しくてお小遣いがなかったので友達づきあいが出来ないこともありましたが、いじめられるということはありませんでした。クラス委員長もやりましたし、明るくて元気な少年だったと思います。この頃から将来は理系の職業に就くと決めていました。当時は高度経済成長のまっただ中。工業の著しい発展を目の当たりにして理科系の技術が社会の中心になると感じていました。理系科目の成績は断トツではありませんでしたが、予習復習の積み重ねでトップクラスを維持していました。
進学した市立尼崎高校の理科系クラスでは得がたい友人に何人も出会います。ステレオがある友人の家でチャイコフスキーやベートーベンのLPレコードをよく聴きました。小説好きな友人とはロマン・ロランがノーベル文学賞を受賞した「ジャン・クリストフ」に夢中になりました。この時の友人は今でも年1回の同窓会で顔を会わし、「ノーベル賞とってくれよ」と激励してくれています。
(安原和枝)
[日経産業新聞2016年12月8日付]
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